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DEBT CLUB Over 30th : Since 10th.Jul.1984
2シーターのクラシック カー クラブだよ。

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1983年の夏に初代会長松本の呼びかけで喫茶店に集まったのがこの会の始まり。
その頃は、私にはもちろんクラシックカーなど無く、「外車は高くて手が出ない。」
「あれは、金持ちの道楽だ。」ぐらいにしか考えていなかった。
ところが、この運命の日から様子が違ってきた。
颯爽とオープンカーで秋の心地よい、また春の穏やかな日差しを一杯に浴びながら
草原の一本道を疾走する夢を毎晩のように見続けたのであった。
その年の8月、霊峰高野山へみんなでドライブする事になり、車のない私は勿論
ビデオ係、あぁ早くオープンカーが欲しい!。
悶々とした日々が続くのでした。
さらに加えて、「ASAMA MEETING」と称して、{朝の間のミーティング}ということで
午前中だけ会ってお茶を飲むのが流行り、また、私は苦しむのであった。
                           <つづく> Jan.5th.1997
そして1984年のお正月から恒例となっている「お正月ミーティング」がスタートする。
そこにはまだ、私のMGAは英国からの船の上だった。
雪の降る寒い1月も終わりに近づいた頃、我が家にMGAがやって来た。
その頃は、家の庭にはまだ車庫もなく、車はシートをかぶって私共々寒い思いをしながら
暮らしていた。
それから半年後、ガレージも出来、「ASAMA MEETING」も「お正月ミーティング」にも参加
出来るようになった。 夏には、「究極のメニュー」と題し、紀伊半島一周(350Km)を敢行、好評を博す。
また、その頃からイベント賛加熱が高まり、「六甲モンテミリア」などに頻繁に出場した。
しかし、その頃は資格を満たせない車が多く、ずいぶん悔しい思いをするメンバーがいた。
さらに、1989年には、この「六甲モンテミリア」が中止となり、出番を失った車達は
悲しい気分を味わった。
そこで、それならばみんなでイベントをぶち上げようと
「MOUNTAIN LEGEND in 高野山」が1990年に生まれることとなった。
                         <つづく> Feb.14th.1998改稿
準備は、一年前から…、スタッフは三人でスタート…
ほとんど半年をこのイベントにかけて東奔西走の毎日が続いた。
予算は、概算で800万円!とても集まらないように思えた。
が、県や町を丸め込み、大手の会社をだましだましでなんとか600万集まった。
「珍しい世界の名車が密教の聖地・高野山にやってくる」たったこれだけのセールストーク
にみんなよくのってくれたものだ。
そして、いよいよ待ちに待ったイベント本番の日!
                           <つづく> Jan.17th.1997
前日から万全を期して高野山の宿坊に泊まり込んだ。
イベント当日、雨…。
季節外れの台風が近づいているという。
町にお借りした駐車場のライン引きもやり直し
本部テントを設営したりパーティー会場となる高野山大学の講堂の設営をしたりで
あっという間に時間がたった。

気が付くと駐車場は憧れのクラシックカーでいっぱい!
中には昨日塗装が上がったばかりという「AC COBRA 289」や
屋根のない「GINETTA G4」も並んでいる。
雨の中、東名高速で立ち往生しながらも何とかして行きたいと電話をくれた方もいた。

有り難う、皆さん!

スタッフはこの時点でイベントの成功を確信した。
全84台の世界の名車達が今、目の前に並んでいる。

高野龍神スカイラインを Passo Della RATICOSA,FUTA に見立て
和製 MilleMiglia よろしく夢を描いて企画した日から1年3ヶ月…
見事、夢は実現した。
                           <完> Feb.16th.1997


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