パイクスピークヒルクライムレースは、アメリカにおいては他に類を見ないほどの歴史と伝統のあるレースです。にもかかわらず日本においてその情報を目にすることはごくまれでした。これは日本においてヒルクライムというカテゴリーが存在しないことと、日本人の参加者がいなかったからではないでしょうか。日本においてこの競技を行うことはなかなか難しいと思いますが、多くの人にこのレースを知ってもらうことで、日本からの挑戦者も増えていくのではないでしょうか。
私は97年に二輪部門に日本人として初めて参戦し、ルーキーでは最上位の12位で完走しました。ゴールした瞬間は涙が自然にあふれてきて、周りの完走したライダー達と抱き合いました。それは私の人生の中で最も大きな感動でした。
そして99年二度目の挑戦をし、予選を2位で終えて優勝に大きな希望を持っていましたが、決勝で転倒し足を骨折、頭を強打し意識不明の重体と言う怪我を負い、意識の戻った私は見知らぬ医師達がせわしなく歩き回る救急救命室の中で、つかみかけた夢が手の平からこぼれ落ちていったのを感じ、涙が止まりませんでした。生まれて初めて感じるほどの悔しさでした。
だから私はパイクスピークに再び挑戦し、さらなる感動を体験し、その感動を多くの人に伝えたいと考えます。そして挑戦を夢見てくれる人が、感動を体験し、共有できる人が一人でも多く出てくれることを願ってやみません。
スポンサーを始めとして私の挑戦を応援してくれている人々のおかげでレース活動を行えることに感謝し、その期待にこたえられるよう努力していきたいと思います。
copyright(c)2000 Mickey and Yoshio MIKI mikichan@snet.ne.jp