昭和57年(1982年)4月22日(水曜日) 読売新聞
・ムシ歯治療の幼女急死 ・医師が薬液塗布中 ・「からい」と訴え、苦しみ
・「フッ素」中身が毒物だった? ・司法解剖結果は「中毒死」
・老医師、通夜の席で倒れ入院

【八王子】 東京都八王子市内の病院で、幼稚園児がムシ歯予防のフッ化ナトリウム液を塗られた途端に苦しみ出し、間もなく死亡する事故があったことが二十一日わかった。八王子署が東京慈恵医大に依頼して遺体の司法解剖をしたところ、死因は「急性毒物中毒死」と報告された。同署では毒物の鑑定を急いでいるが、フッ化ナトリウム液はムシ歯予防に広く使用されており、専門家は、通常の使用では同液の塗布で死に至ることはない、という。このため、同署は薬液を間違えた可能性もあるとして、業務上過失致死の疑いで医師から事情を聞いている。

死亡したのは、八王子市散田町四の二九の四、会社社長小池美章さん(四六)の長女樹里ちゃん(三つ)(高尾杉の子幼稚園年少組)で、事故のあったのは、同市めじろ台一の七の七、「竹中歯科めじろ台医院」=竹中昇院長(六九)= 八王子署の調べによると、樹里ちゃんは二十日午後三時三十分ごろ、母親の春美さん(三三)に連れられ、兄(七つ)と一緒にムシ歯の治療を受けに同医院を訪れた。樹里ちゃんが春美さんにだっこされた状態で治療用のイスに座るとすぐ、竹中院長は樹里ちゃんの歯にフッ化ナトリウムを塗り始めた。樹里ちゃんが「からい」とむずかると、竹中院長は春美さんに腕を押さえているよう指示、いやがる樹里ちゃんに液を塗り続けたところ、樹里ちゃんは床にもんどりうって落ち、苦しみ始めた、という。

樹里ちゃんは唇が白くなり、血のまじった泡をふき始め、さらに、腹痛を訴え始めたため、竹中院長はあわてて一一九番。樹里ちゃんは救急車で東京医大八王子医療センターに運ばれたが、約二時間後に死亡した。

樹里ちゃんの同医院への通院は四度目。フッ化ナトリウム液を塗ったのは初めてだった。竹中院長は市販の「フッ化ナトリウム液」の表示がある三百ミリリットル瓶の液を使用したという。同署はこの瓶を押収、溶液の鑑定を進めている。

これまでフッ化ナトリウム液による事故例がないこと、専門家の話ではフッ化ナトリウム液は無味であるのに、樹里ちゃんは「からい」と言っており、口の中がただれていることなどから、同署は竹中院長が液を間違えた可能性もあるとみて事情を聞くとともに、樹里ちゃんが特異体質だったかどうかも調べることにしている。


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昭和57年(1982年)4月24日(土曜日) 読売新聞
やはり毒物塗った/幼女の死/院長の刑事責任追及

……八王子署は、竹中院長が、フッ化ナトリウムとフッ化水素酸を間違えたと断定、脳血栓で入院中の同院長の回復を待って、業務上過失致死容疑で刑事責任を追及することになった。

同署では事件後、樹里ちゃんの遺体を東京慈恵医大で解剖するとともに、警視庁科学捜査研究所に治療用ポリ容器(三百cc入り)、タオル、吐しゃ物の受け皿などの鑑定を依頼していた。鑑定結果によると、ポリ容器に残っていた微量の液体から、まず強い酸性反応を検出、さらにエックス線解析をしたところ、強い毒性のあるフッ化水素酸の反応があった。

一方、竹中院長の妻A子さん(五九)も、八王子署の事情聴取に対し、「樹里ちゃんに塗布した溶液を自分の歯に塗ったところ、刺激があった」 と証言した。それによると、A子さんは、樹里ちゃんや院長が救急車で病院に向かったあと、「薬を間違ったのでは」と思い、ためしに塗布液を自分の歯に塗ってみた。ところが、強い刺激とともに歯ぐきが荒れたため、うがいをして吐き出したという。

こうしたことから、同署では、竹中院長がフッ化ナトリウムと勘違いしてフッ化水素酸を塗布したものと断定、間違えた理由などを追及する。

これまでの調べによると、同医院では、先月十九日、同市台町二の一七の一五、「梶谷歯科商会」(梶谷久幸社長)にA子さんが「『フッ素』を持って来てほしい」 と電話で依頼、溶液一瓶を取り寄せた。その際、A子さんは、フッ化ナトリウム液の場合には必要ないはずの「押印した受取証」を要求されており、同商会から届けられた溶液が、フッ化ナトリウムではなくフッ化水素酸だった疑いが強い。
A子さんはこの溶液を入れた容器を薬棚に保管しておいたと話している。