2011年7月〜9月の落書き くりこまあいらんど

9月23日

栗の季節になったが,こちら和歌山でも栗は茨城産がほとんどだ。わざわざセシウム入り栗を食べることはないので今年はやめて代わりにサツマイモを食べている。しかし放射性物質っていうやつはごく微量でも検出が容易なのは良いことなのか悪いことなのか。

ある日の出来事

某ヤマダ電機へ定点観測にいったときのこと。コンデジを一通り見たあと携帯電話売り場へ行った。どうでもいいけど携帯電話を「ケータイ」とはどうしても書けないのは40代の悲しさかもしれない。大学の卒業論文のタイトルなんかにも,「ケータイ」という言葉が使われる世の中だけど,たぶん薄っぺらい内容だろう。まあ半分のヒトが大学に行く時代だ,いろいろある。

話がそれたけど,とにかく携帯売り場にいった。auの機種変更で安いのがないかと聞くとその言葉を待ってたかのようにちょっと型遅れの「IS03」がいいとのことだ。シンプルコース(ドコモでいうバリューコース)一括払いで定価63000円のが明日までは7800円という。
他に使い道のない,溜まっているauポイントを使えば,ハードウェア自体はタダで手に入る。
それにこの機種だと,パケット定額コース(ISフラット)に加入すれば2年間は毎月2200円安くなるらしい。これなら支払い月5000円ぐらいになり,いまのガラケー(こっちは言い換える言葉が長くなるので抵抗はない)と維持費は変わらない。ということでスマートフォンを手に入れることになった。

これはなかなかくせ者で,一日に使えるリソースのかなりの部分を消費して鍛錬に励まないといけない代物だ。ブラウザは何が良いかではや一週間が過ぎようとしている。


9月14日

さて,研究助成金を頂いたのでパノラマ用カメラとレンズが新しくなった。ニコンのD3100ってやつとシグマの8mm魚眼なんだけどどうもピントが甘い。

上関原発予定地
三瓶山・埋没林

魚眼だし無限大でいいかと試し撮りせずに遠出したのがいけなかった。このレンズは1mのところに合わせるとピントが合うという変わったものだった。 で,撮り直しでこんなの。
砥峰高原

前のシステムの方が解像度は良いんだけど,コンパクトになったことは確かだ。


9月7日

世の中なかなかうまく行かない。今回の大雨による紀伊半島中南部の土砂災害は距離も近いこともあり,東北の津波以上に考えさせられることが多い。

さて,先日書いた古座川カヌーは,小規模水力発電について学ぶという企画の余興だった。
紀伊半島南部は雨が多いので,24時間連続して電力が取り出せ,環境に与える負荷も少ない小水力発電がなかなかいいかもというものである。
昭和30年頃までは南部山間地には関西電力(当時は関配と呼ばれていた)の配電網が届いてなくて,あちこちの村では自前で設置した小規模な水力発電設備があり,村に電気を送っていた。日頃のメンテナンスや故障で結構大変だったようだ。和歌山の場合はほとんどが撤去されたようだが,中国地方なんかはいまだにたくさんあるみたいだ。雪解け水で安定した水量が得られるのかもしれない。参考リンク

那智勝浦町の市野々小学校横には那智川が流れている。そこに教育的効果をかねた200Wぐらいの水力発電設備が作られていた。


今回の土砂災害では,この講習会に来てくれていた町長の自宅をはじめ,多くの家や道路が被害を受け,この水力発電設備も泥に埋もれてしまったようだ。

画像はhttp://twitpic.com/photos/yamagatahiroakiから拝借

紀伊半島に小さな水力発電所があまり残っていないのは,もしかするとこういうところに原因があるのかもしれない。


8月26日

携帯電話カメラの画像の整理をしていた。あんまり紹介するものもないですけど,少しだけ。

深夜,関空ロビーの交番に売店の店員女性が駆け込んできた。売上金のなかに偽札が混じっていたとのことだった。
事情聴取もあり,帰りが遅くなりそうだ。


なにやら不思議な機械だが,発酵した「もろみ」を絞る機械です。W県海南市にある酒造会社見学会にて。
ここの社長のブログはなにげにマメに更新されている。社長は酒造りに関与していないとのことだ。じゃあ何をしているのかというと,経営的なことと,酒米の買い付けが仕事らしい。


近所で「地蔵盆」の集いがあった。10年に一回ぐらい係が回ってくる。来年は当たり年らしいので,どんなもんか見に行った。ちょっと照明が暗い気がするが,まああまり明るくするのもなんなのでこんなもんか。


8月23日

8月もこの時期になると暑さもやや落ち着いてきた。予告通り古座川でカヌーに乗ってきた。
前日は某旧帝大の宿泊施設でお世話になる。和歌山の人もほとんどいったことがないような辺鄙なところに立派な洋館と実習林を持っており,いつもながら旧帝大の底力を感じる。それとauは圏外だけどdocomoは目の前にアンテナが立っており,同様にNTTの底力も感じた。
バーベキュー(久しぶりの牛肉)のあと,夜中にオオサンショウウオを見に行こうと思ったけど,ビール飲み過ぎで転落して土左衛門になると迷惑がかかるのでやめておいた。

ここに宿泊するのは2回目なのだが近くに飲食できる施設なんかも出来ていて,朝食はそこで頂いた。
で,カヌーだけど,今回はパドリングの講習や,出発地点までの送迎やカヌーの出し入れもスタッフがやってくれるという豪華な企画だった。
古座川はダムからの濁りも比較的少なく,まあまあキレイだった。
はじめのカヌーは幅広タイプなもので,これなら転けることもなさそうな感じだ。でも四万十川にあるスマートなタイプに比べてスピードが出ない。


途中,中華製のカヌー(28000円)に乗り換えた。こちらはもっと安定性があり,乗りながら弁当食べたりビール飲んだりも十分出来そうだ。しかしスピードが出ない。


で,無事終了したのだが,次回の課題として防水デジカメが必要なことと,レンタルされるヘルメット(L)が入らないので自転車用のマイヘルメット(XXL)を持参しなければいけないなと思ったりする。どうも運営ご苦労様です。


8月18日

さて,盆に高校の同窓会があった。会費8k円はちょっと高いし,仲の良かった変わった奴はどうせ行かないだろうしと思案していたが結局行くことにした。田舎のやや進学校を卒業した人間が今なにやってるんだろうという興味が少しあったからかもしれない。
さてW県という土地柄もあり公務員をやっている奴が多かった。まるでギリシャみたいだ。おまけに僕まで「市役所行ってるって聞いたけど」といわれた。
そういえば10代の終わり頃,町役場に就職してAE86の新車を60回ローンで買って乗り回す,そういう生き方もありかなって少し考えたときもあった。それに比べたら若干複雑な人生を歩んでいるような気がするがまあいいだろう。

ところでその場には中学,高校と一緒だったJI3***氏も来ていた。そういえば高校の頃,彼の部屋から144MHzのオールモードトランシーバーFT-280が消えるという事件があった。留守中に他のモノ(TS-520とか)はそのままでFT280とその電源コード,取説が無くなっていた。離れにあった部屋は鍵がかかっていたがこじ開けられた形跡はなく,どうやらポストに入れてあった鍵を使って侵入したようだ。警察にも届け,現場検証なんかもあったとおもう。
犯人は同じ無線仲間の可能性が高いが結局わからなかったみたいだ。無線機をそのまま使うっていうのは難しいから中古で売って換金したんだろうか。それにしても不思議な事件だった。


カヌーに乗ったことがあるだろうか。運動音痴でスキーもやったこと無い僕だけどなぜかカヌーで2,3回本格的に遊んだ経験がある。
四万十川の昔よく行った某キャンプ場で1時間500円でカヌーをレンタルしてくれた。値段が安いのは自分で倉庫から引っ張り出し,終わると自分で片付けなければならないゆえ人件費がかかっていないからだ。その代わり2,3時間借りていても500円でかまわないというアバウトなところだった。
ここでのカヌー競技は,まず上流に向かって一生懸命漕ぐことからはじまる。適当なところまできたらこぐのをやめ,マッタリと流れに身を任せ川下りをする。限界地点まできたら再び上流に向かって漕ぐ,これの繰り返し。
まあ大池遊園のボートに乗って遊ぶようなもんだ。どうでもいいけど大池遊園っていうのは関東でいうと上野動物園の隣の不忍池だったかな?そこみたいなところで,関西のボート遊びのメッカともいえるスポットである。
カヌーに釣り具を持ち込み釣り糸をたれるという掟破りなこともやった気がする。日頃仲の悪いカヌー人と釣り人が融合した斬新な遊びといえるだろう。

なぜカヌーの話を思い出したかというと,今度の日曜に古座川でカヌーに乗る予定なもんで。ひょっとすると戸塚ヨットスクール並みに厳しいイベントかもしれない。


8月13日

ここ数年,コメの価格はずっと安くて生産者の方々は気の毒だった。
昨年の購入価格は13000円/60kgだった。1反で売り上げ12万円ほどにしかならない。必要経費は少なく見積もっても売り上げの半分ぐらいかかるだろうな。固定経費で結構高いのは農業用水代だ。某小田井土地改良区からは農地1反あたり1万円の請求書が毎年送られてくる。ちょっと賦課金ふっかけすぎだとおもう。
ぼやきになってしまった。それはそうと今年のコメはちょっと考えなければならない。セシウム米が混じってくる可能性がある。
産地偽造が日常的なものなので,スーパーで売ってるコメにはセシウム米が混ざってくるだろうな。たとえ基準値以下でも1kgで数百ベクレルも入ってたらいやだ。
よって今年も安全安心な地元和歌山産米を農家から直接購入しようと思うが,たぶん18000円/60kgぐらいになるだろうな。まあこれぐらいの値段じゃないと農家のヒトが気の毒だ。


滋賀県の「針江」というところに行ってきた。各家庭に湧き水と水路があって,カレーを炊いた鍋をコイがキレイにしてくれるので有名だったりする。


コイは自然環境に放流するとロクでもないけど,こういうヒトによって作られた環境の中では,藻やあらゆる小動物を食べてくれる便利な生き物だ。


8月4日

400ccバイクに続いて,50ccスーパースポーツバイク進化の歴史を書きはじめたけど,資料をあさっているとほぼ言いたいことがこちらで書かれていたのでやめることにした。
しかしいつも思うに,朝日新聞は100年前からロクなことをしてきていない。このころ50ccで90km/hもでるのは危ないなどと書いたもんだから各社が対応におわれることになった。
一度機会があれば,当時のRZ50やMBX50なんかを所有して走ってみたいものだ。30km/hオーバーで白バイに捕まるっていうオプションが付いてくるかもしれないけど。

どうもスーパーカー世代なもんで,こういうクルマが駐まっていると写真を撮ってしまう。自分の自転車を撮影しているふりをして,メインは後ろのクルマだったりする。



7月28・29日

1979〜81年  400cc4気筒バイクの物語

 この長い話は1975年にはじまる。この年自動二輪・中型限定免許の制度がはじまり,その後数年間は,限定なしの自動二輪免許を取得するのがほぼ不可能になってしまった。(例えばW県では合格者が1年間に9名という年もあった,全員が白バイ隊員志望の警察官だったらしい。)

 新しく中型二輪免許を取った若者が乗れる最大排気量のバイクにはCB400Fという並列4気筒のモデルがあったけど1977年に生産中止となり,あとはホークIIIやGS400といった2気筒のものしかなかった。  再び中型でも乗れる4気筒モデルとして1979年4月,DOHCエンジンを積んだカワサキZ400FXが発売された。


重くて遅い(乾燥重量189kg・43ps)バイクだったけど,パラレル4に集合管をつけたときの排気音にはたまらないものがあり,爆発的な人気となった。いまでもFXといえば外貨証拠金取引ではなく,このカワサキのバイクを思い出す。

 このあと1年以上400ccバイク市場ではZ400FXの一人勝ちが続くが,ヤマハから1980年6月にXJ400が発売される。

DOHC2バルブ4気筒,45馬力のエンジンが搭載されたモデルだ。短期間で新エンジンを開発できるのは,さすがヤマハ発動機である。エンジニアは研究所に泊まり込みだっただろうな。
乾燥重量も176kgと,FXと比べて13kgも軽かったので走りはこっちの方が良かったようだ。

さてFX発売から2年後の1981年4月,スズキからGSX400Fが登場した。4気筒化された空冷エンジンは45馬力を発生させた。動力性能は同社の2気筒モデル,GSX400Eとどっこいどっこいだが集合管サウンドが楽しめるのはいいことだ。


 業界1位のホンダはZ400FXが発売されてからの2年半の間ホーク3や,いろいろ改良したスーパーホーク3で応戦しなければならなかった。他社のDOHC4気筒モデルを相手にSOHC2気筒では厳しく,販売店からの突き上げは大きかった。さらにだめ押しでYAMAHAから1980年8月水冷2ストロークエンジンのRZ250が発売され,これも売れまくった。

 やっと1981年11月17日,CBX400Fが発売された。後出しだけあってリアサスはプロリンクだし,デザインは小ぶりで洗練され他社より明らかに一歩先を行く仕上がりだった。当時むちゃくちゃ速かったレーサーのフレディ・スペンサーを広告塔にまたたく間に一番の売れ行きとなった。


この時代は,たとえ他社より出し遅れても次から次へと新しい購買層が沸いてくるので,開発のしがいがあっただろうな。 例えばCBX400Fの月間予定販売台数は5000台とのこと。

エンジン出力と乾燥重量,ゼロヨンのタイムをまとめると。
1979年4月 Z400FX (43ps 189kg 14.18s)
1980年6月 XJ400 (45ps 176kg 13.90s)
1981年4月 GSX400F (45ps 175kg 13.76s)
1981年11月 CBX400F (48ps 173kg 13.34s)

※この時代の中免最速バイクは81年2月発売のRZ350 (45ps 143kg 13.10s)

このあとも400ccバイクは進化を続け,84年6月発売のGSX-R (59ps 152kg 11.90s)で頂点を極める。

あとがきですが,この文章はそもそもマクドナルドにXJR1300が止まっているのを見て,XJ400とGSX400Fのどっちが早く発売されたのか気になって調べたのがきっかけです。
ほとんど書いた頃,よく似た内容をもっと面白く書いたところを見つけたりしてややショックを受けているところです。


7月27日

先日,紀ノ川の堰にいつもいるサギが増水のため避難していたことを書いた。 水もひいたみたいなので早朝自転車に乗って出かけてみた。 まだ普段より少し水量が多いがまあまあ普通になっている,サギも何匹かいる。携帯電話しか持ってなかったがとりあえず撮影。


これじゃあよくわからないので双眼鏡とくっつけて簡易コリメート撮影してみた。

なんかパッとしない。ウツだ。撮り直しが必要かもしれない。


7月26日

古くからのお知り合いの方はご存じだと思うけど,昔からやや躁鬱なところがある。今朝はとっても気分がよい。

さて人生もなかばを過ぎ,ここ数年,いわゆる「博士号」を取得したいと少しばかり考えている。
そのための第一段階として,とりあえずこの3月,修士課程は無事終了した。
しかしよく考えるに,博士になったからといって業務上のメリットはあまりない。名刺に「博士(理学)」とかは書けるけど,そもそも名刺を渡す機会がほとんどないのは悲しい。こんな感じの印鑑をつくっても使うところもないし。


現実的に論文博士を取得するほどの研究者とはとても思えないので,課程博士ということになるが,大学院に3年在籍すると入学金授業料で200万ぐらいの金が必要になってくる。これは怪しげなクルマを売ればある程度工面できるかもしれない。
そもそも何を研究するかというのも問題だ。修士は努力賞みたいなところもあるけど,博士となるとなにか新しい知見が必要だろう。
課程博士として博士後期課程に入学するとしてどこに行くか。仕事しながらなのであんまり選択肢はない。ここここぐらいだろうな。
どちらも頼み込めばおそらく入学はさせてもらえるかもしれない。しかし続くかどうか問題だ。

たまにはこのことを後押しするような良いニュースも入ってくる。某研究奨励金を頂けることになった。 さてさて今後どうしよう。


7月25日

ふうぅ
ちょっと携帯電話の中に入っている画像を紹介します。


先日の台風6号,被害はなかったが紀伊半島東部に大雨をもたらした。で,紀ノ川が大変なことになっていた。いつもはここに遡上する魚を咥える鷺が居着いているんだけど,この日はどこかに避難している様子だった。大雨の後専用の狩り場があるのかもしれない。


神戸の南京町。震災前とあんまり変わっていない気がする,というほど詳しくないんだけど。
「楽園酒家」でランチを喰った帰り,鍋に入れた水を弾ませてるヒトがいた。写真を見ると鍋おじさんよりも女の子に目がいってしまうのは気のせいだろうか。


真夜中,911で海を見に行った。まあこんな日もある。
深夜1時なのに若いカップルがサビキ釣りをしていた。僕は何をするでもなく煙草を吸っていた。こんなシチュエーションで吸いたいがために煙草がやめられない。


7月24日

実家にいくと古くからなじみの電気店の親父がやってきた形跡があった。
たぶん地デジ難民になっていないか様子を見に来たのであろうが,第二級アマチュア無線技士と初級シスアドをもつ僕が先日書いたとおりamazonで購入据え付け済みだ。
そこで電気店の親父は,オール電化を勧めて帰っていったそうである。まあオール電化とはいかないまでも,ガスレンジだけIHにしちゃえばプロパンガスとはおさらばできるんだけどな。

セシウム牛,ひょっとすると少し食べてるかもしれない。 このところ,以前にも増して時間を正確に把握できるようになった。
しかしこれだけ「ウシウシ」とニュースで流れると人間不思議なモノで焼き肉を食べたくなったりするらしい。事実W市内の焼き肉屋は結構にぎわってる。
さて,W県ニュースをひとつ。

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少女に対する強制わいせつ容疑で和歌山県警機動隊副隊長の警部(49)が県警の事情聴取を受けた事件で、
警部が23日朝、和歌山市内の自宅で自殺したことが分かった。
 捜査関係者によると、警部は21日夜、和歌山市内の公園で女子中学生の体を触るなどしたとされる。
現場から車で逃走したが、車のナンバーを女子中学生が覚えていたという。
 県警は22日、警部に任意で事情聴取。引き続き詳しく調べる方針だったが、23日午前6時10分ごろ、
自宅で自殺を図り、意識不明になっているのを家族が発見。搬送先の病院で間もなく死亡が確認された
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よくわからない事件だ。夜の公園で女子中学生の体を触るというのはどういうシチュエーションだったんだろう。 声をかけて公園に連れ込んだんだろうか。
49歳警部,機動隊配属っていうことはここで勉強して警視になり,署長とか本部課長に出世するコースだな。近い将来W県警を引っ張っていくことを期待される人だっただろうに,幹部はショックを受けていることだろうな。

どうもこのヒトと会ったことがあるような,たしか「薬物乱用防止」の講演に来てもらったような気がする。背が高くて姿勢がよく,しゃべり方も独特で我々とは人種が違う感じだった。ちょっと変わった人だったかな。
心の底に強い破滅願望があったのか,なんにせよご冥福を。


7月11日

さて,休日の朝11時頃,自転車で一日100km走ろうと思い立った。
11時30分頃出発。とりあえず東に向いて50km走り,引き返してくれば目的達成できるとおもう。
九度山町の世界遺産慈尊院で昼食をとる。門前にカップラーメンを置いている店があったので焼きぞばUFO(高カロリー)を買って湯をねだると,おばちゃんが湯を入れて捨ててソースを入れとちゃんとつくってくれた。
でもちょっと問題があった。僕は1分半ぐらい置いた堅めの麺が好きなのだが,おばちゃんはキチンと3分湯に浸しちゃったのだ。麺はのびのびで,まるで昔の給食スパゲティーみたいになっちゃってる。
しかたなく,もちろん文句も言えず完食した。僕が食べてる間,おばちゃんはずっと付き合ってくれる。
対人関係に難があるとの評価をもらっている自分としては,こういう場面はやや辛いものがある。なかなかこちらの方のようにはいかない。それでもこの店の建物はちょうど100年前に建てられたとかの会話が出来た。
さてさらに東を目指し,橋本を越えて五條市に入った。しばらく走ったが暑いのでそろそろ限界,40kmを過ぎたところだった。五条新町っていう江戸時代の大和街道がそのまま残ってる町並みのところで休憩をして帰路についた。

結局,行程は83kmほどだった。帰宅は16:30ごろだったから5時間もかかっている。この時期に100km走破するためには,朝の早いうちに出発しないと難しいようだ。

ゴルフのエアコンはポルシェの店であっけなく直った。電動ファンと,そのコントローラーが壊れていたとのことだ。 まだ請求書が来ていないけど結構高いだろうな。


7月3日

節電節電っていうけど,最大供給量を超えたらどうなるんだろうって興味も少しある。
もちろん自宅の電気代は何度も書いてるようにコンビニ現金払いでコスト意識は高いし,仕事場でも不要な照明は点けないよう心がけている。
これらはもうずっとやっていることなのであとは知ったこっちゃない。
需要オーバーになると電圧が下がって周波数も下がるのかな。60Hzなので多少周波数が下がっても家庭じゃ関係ないし,3,4時間の停電なら特に問題はない。
世界の7〜8割の地域は,発電量が追いつかず停電っていうのは日常茶飯事だろうし。

同居人が乗ってるゴルフtype4の話。たしか新車から7年以上たっているけどいままで故障は一回だけだった。水温のサーモかセンサー不良でエンジン冷えすぎというヤツで,そのときはまだ買ってから3年過ぎてなかったので保証修理だった。
さて,昨日から急にエアコンから冷気が出なくなったというクレームを受けた。近所の修理屋さんで見てもらうが,ガスは入っているので他の電気系統が原因かもしれない,配線図ないからディーラー行ってちょうだいとサジを投げられちゃった。
なんかゴルフのディーラーって高そうなイメージがある。以前の無償修理の時のついでに,ATF交換いくらかかるか聞いたら4万円ぐらいっていわれて「ああそうですか」で終わってしまったことがある。それに買ったのは大阪だし乗っていくのも暑い。所詮国民車なのになあ,まあAUなんとかの正規ディーラよりマシかもしれないけど。

で,ポルシェを直してもらった店に電話してとりあえずクルマを預けた。同居人にはしばらくの間ホンダの箱バンを無償レンタルする。

そんなこんなで曇りでちょっと涼しいのでポルシェに乗って機嫌良くドライブ♪(よくあるblog風表現)
土曜日のみ営業の,山奥のパン屋に行った帰り,走行中ちょっと気を抜いたのだろうか,後ろのオーバーフェンダーをガードレールに擦ってしまった・・ ナローポルシェだったら大丈夫だったんだけどな。
ほかにもいくつか凹んでいるところがあるので,しっかり農業やって板金修理代を稼がねばと心に誓う今日この頃である。

そういえば15年ほど前のインターネッツカンブリア紀に,マイカーのローバーディスカバリーの思いをつづった個人ホームページがあった。車を買ったセールスマンと仲良くなったりしてほのぼのしていたが,そのうちクルマをぶつけてしまい,ディーラーに修理で入庫するも数ヶ月放置されるという最期をもって更新が終了したのはとても痛々しかった。アルミボディーを修理できる下請けが見つけられなかったんだろうな。