2015年の落書き くりこまあいらんど

11月9日

圏央道の一部区間が開通した。立ち退き拒否のため遅れていたらしい。こんな一家は温泉旅行に招待して,その間にブルドーザーを入れて道をつけてやったらいいとおもう。
とにかくこれで北,東関東方面へのアクセスが良くなった。恐怖の首都高中央環状線を通らなくてもよくなった。
というわけでさっそく偵察に出かけた。相棒はMTを運転できないのでゴルフ4の出番だ。若干不安なモノもあったが久しぶりにハイオクガソリンを奢り名阪国道,東名阪,伊勢湾岸自動車道をぬけて豊田市から北上し中央道を走った。それは長野を抜け山梨県を走行中のこと,突然メーターにある黄色いランプが点灯した。



心臓に悪いが走行は特に異常は感じられないのでそのまま80km/hに落として左側を走行し,八王子から圏央道を北上し,無事に終点の境古河までたどり着いた。
一晩おくとランプは点かなくなっていたが,現地のDUOに持って行きOBD2で診断してもらった。とても愛想よく診てもらうと予想通りO2センサーの不具合らしい。
まあそれならいいだろう。そのうち交換しよう。

二,三日滞在後帰路についた。
東名高速は若干不安だ。故障で停車中追突されたら日本の大動脈を止めることになるので,ぼちぼちと中央道を帰ることにする。
こんども長野をすぎ岐阜県内を走行中警告灯が点いた。350km〜400km連続走行するとランプが点くようだ。
このクルマ,O2センサーは2個も付いており,一個3万らしい。センサーを交換するか,そろそろ乗り替え時かもしれない。


10月17日

モノバンドのアンテナは誰にでも作れるが2バンドとなると調節がやっかいだ。
アンテナアナライザーを買ってみたが,もうひとつうまくいかない。

このあと調節して7MHzでもSWRを2まで落とし,あとはアンテナチューナーでごまかすことにする。
実家のあたりも家が多くなったせいか,ノイズがひどい。

さて、移動運用にも出かけた。
4mほどの塩ビパイプに適当に電線を巻いて、7MHZのアンテナを作る。アンテナアナライザーでごちゃごちゃとやったが結局うまくマッチングがとれずアンテナカプラーのお世話になる。
カプラーは今は亡き東京ハイパワーの良心作であるHC-75ってやつだ。名前の通り耐電圧が75wで、移動運用にちょうどいい。

ここ20年、局免の更新だけでほぼ無線をやってなかったが、復活がスムーズにいってる。
CQ誌もアイコムも八重洲もケンウッドもミニマルチアンテナも存在している。ありがたいことだ。
常置場所の郡廃止や市誕生に立ち会わなかったのは残念だけど。


9月17日

■アマチュア無線復活3
さて、10分で作った釣り竿へんてこGPだが、電信なら聞こえている局にはいちおう電波は届くようだ。しかしいつまでもこれじゃ何なので、やや本格的なアンテナを建てることにする。 無線局には常駐しないので、昔のようにルーフタワーとローテーターで八木アンテナを振り回すようなことはしない(つもり)。

ということで地面から立ち上げた7,10MHzの2バンドGPを上げることにする。
足場鋼管を打ち込んで、本体は昔の八木アンテナのアルミパイプを使用する。

それらしいモノを作ったがトラップコイルの作り方がわるいのかうまく電波がのらず、(SWRが4から落ちない)結局コイルをとりはずし10MHzのモノバンドGPとなった。上の方にある横棒はおまじない棒。下の方にまだ撤去していない,へんてこ釣り竿アンテナも写っている。

ためしに10MHzでCQをだすと2局同時に呼ばれた。さすがにちゃんとしたアンテナはよく飛ぶようだが,こっちはもともと下手な電信にブランクが長いので戸惑ってしまう。
7MHzは当分アンテナカプラのお世話になることになるが,秘密兵器を調達して再度2バンドGPにチャレンジするつもりだ。


9月15日

■アマチュア無線復活2

さて、無線を再開するにあたっては、まずアンテナを立てて、QSLカードを用意してJARL(日本アマチュア無線連盟)に入会する必要がある。
アンテナはわかるが、QSLカードとJARLに加入っていうのが知らない人からはわかりにくい。
電波を出して交信すると、QSLカードというはがきサイズのカードを交換する定めがある。もし交信したのに相手にカードがないといったら、すごく嫌がられるので嘘でも交換するといわなければならない。
またこのカードの交換方法が独特で、JARLに委託された交換嬢が島根県にいらっしゃるので,そこに交信相手のコールサインを書いたカードをまとめて送ると,振り分けて届けてくれるという昭和の方法だ。このために会員にならないといけないので入会した話は前回書いた。
日本でこの方法が廃れなかったのは、5万円とかでJARLの永久会員になれば追加料金なしで一生この方法(QSLビューロー)が使えるからだ。
ところが若者青年中年の無線ばなれで会員が永久会員ばかりになり会費収入がやばくなってきたので、永久会員も通常の年会費の半額を支払わないとビューローが使えなくなった。

さて自分のQSLカードだが、35年前に一万枚印刷したものがまだ千枚ほど残っている。しかし住所が変わっており書き直しが面倒だ。無線局の場所自体はそのままなんだけど郡から市になってる。どこの郡とか市とかっていうのはものすごく大事なことなので作り直すことにしよう。それにリアル厨房のころのデザインだしやや恥ずかしい。
モノクロの余っているカードをスキャナーで取り込み住所を直し、ついでなので著作権が微妙な絵に淡く色をつけた。結局はリアル厨房のデザインのままなんだけどまあいいだろう。今回のミッションのテーマは「nostalgia」なので。

BMPで保存しデジタルデータを「いろどり」に送り、数日後満足な仕上がりのものが1500枚送られてきた。アンテナの話は次回。



いま見ると世界標準時はUTCだな。直せばよかったがまあわかるだろう。イギリスの局には受けがイイかもしれない。


9月1日

早いもので九月になった。和歌山は相変わらず暑い。

■アマチュア無線復活

古い無線機で7MHzを聞いていると久しぶりに電波を出したくなってきた。
Windowsパソコンやらハイテク電子機器やらに囲まれた毎日からの逃避願望かもしれない。
でもいまさら「ダブリューエックスはレインです。FBなQSOありがとうございました。カードは連盟で」とかしゃべるのは赤面しそうなので電信がいいとおもう。苦手だけど。

電信での交信例
自分 CQ CQ CQ DE JG3××× JCC2608 PSE K
相手 DE JA1QSO K
自分 JA1QSO GA UR 599 BK 
相手 BK UR 599 BK
自分 BK QSL 73 E E
相手 E E 

これでまあ何とかなるだろう。 一応解説を

DE   こちらは
GA   グッドアフタヌーン
599  ちゃんと聞こえてるっていうこと
BK   急いでるんだっていう意思表示
QSL  了解しました
73   さよなら
E E  ピッ ピッ

というわけでカツミのエレキーは壊れているので電鍵を新調した。ハイモンドっていう電鍵を作っている会社がある。アメリカの会社っぽい名前だけど実際は静岡の小さな会社だ。
いまも存続してるっていうのがうれしくて、9000円ぐらいの横ぶれのを購入。

アンテナはとりあえず仮設で10MHz用のバーチカルを建てた。5mほどの釣り竿に電線を沿わせて木にくくりつけたものだ。
M型コネクターはニノミヤエレホビーが閉店の時幾つか買ってあったのが役に立った。記録を見ると1999年2月末のことだった。

10MHzは若干自信がなかったので,アンテナカプラーで7MHzにチューニングをとる。このバンドはへっぽこオペレータでも許される懐の深さがある。
運良くオール佐賀コンテストっていうのが開催されており、佐賀県の数局と更新成立した。久しぶりなのでかなり緊張する。 その後10MHzにいくが、夕方になっていたので誰も出ていなかった。

ところでJARLにも再入会した。お試しで半年分の会費3600円と入会金1000円をコンビニで支払う。まあぼちぼちいこうか。


8月2日

■最近つくったもの(ほとんど自分用)

教育用に,冥王星実体写真(グリグリすると大きくなります,NASAには内緒で)
pluto2.swf

Webをさがしてもなかった,一太郎の領収証テンプレート
ryoushuusho.jtd


7月29日

■取り調べの対処法(戦後七十年記念)

先日から「キャプテン源兵衛の明日」というタイトルの文庫本を読んでいた。

硫黄島の戦いで,停泊する米軍水上部隊に対抗する手段は航空機特攻か潜水艦攻撃しかなかった。
しかし艦隊周囲は対潜水艦包囲網が厳重に引かれ,出撃した日本海軍の潜水艦数隻は,一隻を除きすべて沈められたようだ。
攻撃をあきらめ呉に帰投したイ44号の艦長,川口源兵衛は査問のうえ,係留されたままの老朽艦の艦長に左遷され終戦を迎えた。
戦後はどさくさの中,酸素魚雷をつくるための酸素発生装置を手に入れ,酸素をつくる会社を立ち上げた。

今も続く日本を代表する酸素の会社の黎明期は,海軍士官数名がコアになって回していたってのが面白い。

さてこの本のなかで気になる文言があった。
兵学校のクラスメートがB級戦犯容疑で出頭命令を受けたときのことだ。彼は海軍陸戦隊のころ捕虜にやばいことをしたらしい。
その彼にいった言葉が,
「おい中島,ばか正直にしゃべるんじゃないぞ。きさまは正直だから心配だ。どうでもいいことは正直にしゃべって,一番やばい箇所だけ嘘で固めるようにしろ。それが取り調べを受けるときのコツなんだそうだ。」
その後,彼はインドネシアまで連れて行かれ取り調べを受けたが無事不起訴となった。

さて,この中島さんはネットで調べると,平成5年頃なくなっていた。キャプテン源兵衛も平成6年にこの世を去っている。
70年も経つと当然のことだが,旧陸海軍の士官はほとんどお亡くなりになったようだ。先の戦争を本当の意味で知っているヒトはほとんどいないのかとおもいきや,大勲位はお元気のようで安心した。


7月26日

■ヤフオクで車を買う

素人がなるべく安く中古車を買おうとすれば,いまのところはヤフオクしか手がない。しかし出品車両は事故車冠水巻き戻し訳ありのゲテモノオンパレードってのは周知のことだ。
ヤフオクではいままで懲りずにスズキキャリィ2台,ホンダアクティ2台,アルト,ディーゼルセレナを買っているが,どれも10万円以下で,しかも一癖あるものばかりだった。
セレナは海釣り車でサビキ臭く,300円高圧洗浄で車内丸洗いしてなんとかマシになった。アルトも冠水車でドブ臭く,こいつも車内丸洗い。
一番外れだったのが官公庁オークションで落札した差押え物件のアクティその1だった。10000円ほどで落札し県事務所まで引き取りに行き,車検証を見ると前ユーザーは県税が払えなくなった某葬儀屋で,車内が線香の臭いで充満していたっけ。
これはさすがにすぐ解体屋行きとなったがもちろん赤字だった。

さて免許を取った少年からコレダのラパンが欲しいと頼まれた。なるべく安く20万円以内でとのことだ。車屋のにいちゃんに当たってもらったが,乗れるようにして20万はしんどいとのことだった。仕方がないのであまり気乗りしないがヤフオクで探すことにする。
あれこれ見たり入札したりしたが,結局10万円ジャスト+リサイクル税で買うことになった。車検が少し残っているので引き取りは楽勝で,大阪の某市から和歌山まで乗ってきた。
ざっと見るとやや問題があり,オークションページに記載がなかった不具合はドアノブがひとつバカになってて外からドアが開かないのと,クラクションが鳴らないっていうところ。
見るとクラクションの本体がどういうわけか取り外されていた。エンジンが取り外されているよりマシだけどひどい話だ。他のクラクションが壊れた車に転用されたのだろうな。あとタイヤがほとんど坊主だったので,それらの修理交換の追加費用が2万数千円ぐらい,結局13万数千円で少年に手渡した。やれやれ一仕事おわった。




7月5日

■半田ゴテ新調
半田づけは,半田ゴテが暖まるまでの待ち時間がかったるい。大昔教育テレビで,瞬間半田ゴテっていうおっかない代物が紹介されていた。
ふと思い立ち半田ゴテを新調したくなり,amazonを見るとみんなの科学とは仕組みは違うが,待ち時間を節約できる半田ゴテが売り出されていた。
スイッチを押してる間だけ200Wになり,普段は20Wというもので,このしくみでコンセントを差してから20秒ぐらいで半田付け作業が行えるとのことだ。
さっそく買ってみた。たしかに悪くはない,待ち時間が大幅短縮された。これで屋外での半田付けもスイッチ押せば出来るかもしれないが,もうそんな作業をすることはないだろうな。

定点観測
2015年,無線小屋の様子を定点観測として残しておこう。


TS−511X(正真正銘10w機)はほぼ完動。9R−59DS(受信機・二段目の大きなヤツ)は中波は聞こえるが短波の感度は極端に悪い。
30年ほど前,高校の無線部部室にあった同型機はもっと感度がよかったので,どこかが故障していると思われる。この2台は記録によると2007年に頂いたものだ。
二段目のデジタル表示のは,奇跡的にヤフオクへの出品から免れている430MHzのオールモード機・IC−375で,これは完動だけど肝心の電波を出している人が少ないのでほとんど聞こえてこない。

拡張された7MHzを聞いていると最新の無線機を手に入れ,少しだけ交信してみたい気もするが今更しゃべるのは照れるし,電信がいいかな。
むかし21MHzのCWで交信した西海岸の局のQSLカードに書かれていた「Retired Carpenter,Ages 64」って言葉を思い出す。


6月16日

■銃にまつわる話

今までホンモノの銃にはほとんど縁がない生活を送ってきた。
数年前,某所で火縄銃を持たせてもらったことがあるのが初めてかと思ったが,遠い昔に本物の拳銃を握ったことがあるのを思い出した。

昭和50年というとそんなに昔じゃない気がする。でももう40年も前のことだ。そのころ同級生男子が十数名,女子も3,4名があつまり空き地で野球をしていたことがあった。
どういう経緯かわからないがその場にひとりの若い警察官がときどきやって来た。彼はゴム板で出来たホームベースを持ってきてくれたりと割と親切だった。
で,彼との関わりの中で,ホルスターに収めた拳銃を取り出して見せてもらい,握らせてもらったことがある。ニューナンブの回転式拳銃だ。
おそらく弾はは入ってなかったと思うが,ばれると今なら,いや40年前でも少しは問題になったかもしれない。
彼はどうしてひとりで,小学生の野球集団のところにやって来たのか。職場の人間関係,上下関係の癒しの場だったんだろうか。今となってはよくわからない。
そのあと来なくなったのは,僕が知らなかっただけで拳銃のことが問題になったかもしれないし別の理由かもしれない。


6月14日

さて,契約から二年経つと月々の携帯電話代がグンと跳ね上がることがある。

二年前,docomoのエクスペリアAを購入時,本体代金はさまざまな特典を利用すると一万数千円だったので一括で支払った。で,二年間電話代から毎月二千数百円が差し引かれ,電話代の支払いは一ヶ月四千円ほどだった。

これが二年を過ぎた今月から月六千数百円になる。この状態がずっと続くのはなんとしても避けたい。
そのためにはmnpで違う事業者に乗り換えなければいけない。それには店に足を運んで長々と説明を受け,auかソフトバンクのスマホを購入し,電話帳やなにやらを移し替え,新しいアプリをいれる。紐付きゴミアプリは養分にならないように契約解除・・・
こういうのは三十代のころなら楽しんでやった。しかしもう考えただけで疲れてしまう,アラフィフの悲しさだ。

で,格安simに手を出すことにした。会社はIIJ。なんてったってインターネットイニシアティブオブジャパンだ。日本中のインターネットが機能しなくなってもココだけは大丈夫っぽい。
今の世の中,キャリアメールのアドレスより電話番号が大事なのでmnpにした。一日つながらない日ができるがまあいいだろう。
明後日頃にはsimが届き,無事使えるようになると思う。


6月13日

■備忘録 CT110の自動遠心クラッチ

さて,カブの自動遠心クラッチは非常に良くできたシステムだと思う。もっとも仕組みはここにくわしく書かれてあるが何回よんでもよくわからない。
自動遠心クラッチを装備することにより左手がフリーとなり,鍬や出前そばを提げたままカブの運転ができるようになった。
欠点は経年により滑ってくるってことだ。特に自動車用エンジンオイルを入れるといっぺんにダメになり,二度と復活しない。
CT110もクラッチの滑りが気になるようになり,パーツはそろえてあった。ちょっと自分で交換する自信がないので,バイク屋におねがいした。工賃は8600円。
交換すると始動キックの感触から変わってくる。ダイレクトにクランクを回している感じだ。ややハードな試乗をしたが大丈夫だった。



6月5日

どうも空気が読めないのは今に始まったことではない。

さて,「セブン」と聞いて真っ先に何を思い出すだろうか。
たしか中学校の時だったと思う,クルマ好きの無線仲間が「セブンに乗りたい」という話を振ってきたがどうもかみ合わない。
僕がセブンと聞いて思い出したのはロータスではなく,「トヨタ7」だった。小学生の頃コレのプラモデルを作ったことがあり,まあ妥当なところだとおもう。 どうやら彼はマツダRX−7のことを言っていたようだ。当時は初期型のサバンナRX−7が出て2,3年経っており,セブンといえばこのクルマのことだろうなとはあとになって思う。

しかしクルマ好きの無線仲間もトヨタ7のことは知っていた。彼も昔の記憶を蘇らせたというか,琴線にふれたようでたいそう喜んでくれたのでよかった。 もし知らなかったら,日産シルビアの話でフルビアを出したときの,低レベルのダジャレと思われ悲しい思いをするのに近いものがあったとおもう。

さてYoutubeではトヨタ7の走行動画がいくつかupされていた。
いまも稼働状態でときどきサーキットを走ってるみたいで,見てみたい行きたい個人リストに追加しようとおもう。
(蔵王のお釜,隠岐,トヨタ7)


6月3日

■備忘録
紀の川市プレミアム商品券の予約がはじまった。一万円で千円券13枚がもらえる優れものだがいくつか問題がある。
紀の川市に住民票があるヒトしか買えない,買う手続きがやや面倒,さらに使えるのが紀の川市商工会加入店に限られる。
全力を突っ込むと20万円で26万円分となる。これを12月末までに使い切る必要がある。
これは何か大物か,工事で使うしかないな。客が使った千円券は商工会で930円になるらしいので,あまり大量に使うときは事前相談しないとイヤな顔されそうだ。

最後に特に意味はないんですが写真を貼り付け。(ちょうど26万円ぐらい)



5月11日

まるでおみくじを二回引くみたいな感じだった。

健康診断ってモノが毎年春にある。胸部レントゲン撮影以外は受けたり受けなかったりなのだが,職場も変わったことだし今年は受けることにした。
そのなかの血圧の測定で,上(収縮期)が132mmHgだった。年齢+100以下をクリアしているしまあ余裕だなと思ったら測ってくれた看護師から「130を越えると高血圧なのでもう一回計ります。何回か深呼吸してください。」といわれた。
まあいわれたとおりに深呼吸をして無の境地になって測定してもらうと123だった。さすがベテラン看護師,仕事が出来る。

さて,高血圧の基準はいつのまにか厳しくなったみたいで130以上は予備軍,140以上だと高血圧に分類されるらしい。 脳卒中の後遺症で老後のQOLを落としたくないし,血圧の薬を飲み続けるのもイヤなので,運動不足と過食には気をつけないととおもう今日この頃だ。


5月6日

しばらく更新が滞って申し訳ないです。
ネット鬱というか,パソコンに向かって何かをするのが億劫になっている今日この頃で。これを打っている自室のPCはいまだにWindowsXPだし。
OSを入れ替える作業なんてやる気も起こらない。まして情報発信なんて発信するネタもない。
というわけでこんなときはスマホにたまってる写真をすこし貼り付けてお茶を濁すというか,弾みを付けようと思う。すみません。

連休に蔵王のお釜へ行こうとしたんだけど,噴火しそうでお釜の水の色が変わったりして通行止めだった。
仕方ないので手前の磐梯山へ行ってきた。会津というと野口英世生誕の地であり,野口英世記念館ってのもあった。
生家が移設されており,例のいろりもそのままのものがあり,落ちそうになる英世が影絵になっておりなかなかおもしろい。
展示コーナーではこの人は派手好きというか,極貧の跳ね返りが強い人っていうのがよくわかった。


どうでもいいけどいまだにこのあたりのインター出口では一般レーンが混雑している,猪苗代湖行きの水上バイクを引っ張ったクルマも一般レーンだ。まあいいけどね。
喜多方ラーメンを食べてどこへ行こうかと考える。南下すると房総半島の犬吠埼まできてしまった。

こんなところで泳いだらアメリカまでたどり着くかもしれない。本当はゆっくりと灯台も見たかったのだけど成田へ帰る時間が迫ってきたのでまた次回。
行きはジェットスターで帰りはピーチというLCC三昧だったが,まあとくに問題はない。LCCのいいところは,預ける荷物は金がかかるし機内持ち込みも厳しいのでそれを理由に土産を買わなくてすむところかな。