ミルク32 中島みゆきの想い出
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中島みゆきを知ったのは中学校2年の時であった。
友人が、「毎日放送の金曜日8時から聞け、おもしろいぞ」といったので、当時BCL少年だった僕は1179MHzを聞くと、なにやらみゆきさんがしゃべっていた。
そのうち、臨月というLPがでるといってたので正月早々買いに行ったのが始まりである。
臨月に入ってる曲は、はっきりいって暗かった。有名な「ひとり上手」が一番あか抜けており、ほかは鏡を手で砕いて血を流したりなにやら振られた物語ばっかりで13歳の僕に深い意味を理解するのは不可能であった。
それでもすぐあとに一つ前のLP、「生きていてもいいですか」を買って、僕は永遠の奈落の底へ落ちたのであった。
まあそれもオールナイトニッポン月曜1部を聞いて、少しはましになったかもしれない。
〜ここで、オールナイトニッポンの各コーナーの解説を少し〜1 はじめ いろんな話
2 ふつうの葉書の紹介
3 家族の肖像 家族のおかしな生態を紹介。葉書を出すのも近親者のため、恥を放送されてもあんまり怒れない。
4 一枚の葉書 ちょっとまじめな葉書や季節の移り変わりを感じる便りを紹介する。
すぐあとに内容に関連した曲(みゆきさん以外)がながれる。
5 だーいきらいだ 日常生活での様々な怒りををみゆきさんにぶつけて読んでもらう
6 ひとり上手のコーナー 自分の恥をみゆきさんによんでもらうコーナー
7 最後の葉書 深刻な話、どうにもできないことをみゆきさんに打ち明ける
紹介する葉書は一枚だけで、そのあとみゆきさんの曲が流れる。
(例)仕事先で何かあると、中卒だからといわれ悲しい:「世情」がながれた。オールナイトニッポンはずーとやってたけど、僕が聞いたのは中3〜大学へはいるまでの数年間だった。
二部では上柳昌彦がやってて、あと金曜二部の鴻上尚史とかが印象的だった。
みゆきのオールナイトの出演者はヒゲ鍋さんとかポチ、リリアンその他であり、毎週三千枚以上の葉書によって成り立っていた。ところで今もオールナイトニッポンに葉書出したい人はここへメールを出すと今なら100%のっけてもらえると思う。
中島みゆきと聞いて世間の人の反応は「暗い」からやめろというのを除けば何らかのイメージを持っているようで、特に邦楽、洋楽なんでも好きという人はなぜか「ボギーボビーの赤いバラ」なんか知ってたりする。
僕は感受性豊かな中学〜高校の時に聞いた初期、中期の曲には特別の思い入れがあり、LPでいえば私の声〜予感ぐらいまでだったらほぼ空で歌えるかな。
つづくイラスト提供k-sakaiさん
中島みゆき 歌の解釈
歌の解釈なんて百人百様で、自分の解釈を人に押しつける気は毛頭ありませんが。。。
「エレーン」
場所はモロッコのカサブランカ、吟遊詩人の男は安酒場で踊っていたダンサーのエ
レーンと知り合った。深く恋に落ちたわけではないけれど二人は一緒に住み始めた。
一年二ヶ月後彼女は突然姿を消した。まるで、風に溶けていったように少しばかりの
安物ドレスを残して。いなくなってから夜になると彼女と一緒に暮らした時が思い出
される。楽しかったことはあまりなかったけど。北アフリカの一月は、冷たい雨が降
っている。自分なんて、死んでも誰も悲しまないし、困ることもない。今夜雨は冷た
い。
「明日を撃て」ツアーでのエレーンより
「世情」
昭和46年、全学連は解体し過激派や代々木派が生き残る。吹き荒れる学園紛争の
中で何かが変わるのではと思った男は深い挫折感のなか大学へもいかず、ぐうたらと
生活していた。そんな男とつきあっていた、信金に勤めるOL悠子が送った鎮魂の歌。
シュプレヒコールで世の中が変わった試しがない、あんたもそろそろ社会復帰しなさ
いよと優しさと厳しさをかねた応援歌でもあった。
男はやがて大学にも顔を出し、無事卒業する。今は故郷の高校で社会科を教える男
は悠子とともに暮らした日々を思い出すたびに過ぎ去った青春を苦くかみしめる。