2014年の落書き くりこまあいらんど

12月8日

■北海道その2

もう二十年ぐらい前のはなしだけど,石器をつくるのにどんな石がいいかある方に聞くと,これを使えと自身が拾ってきた十勝石を持ってきてくれた。そのときから,いつか十勝川(にあるんだろうなたぶん)に十勝石を拾いにいこうとおもっていた。めったに行けない北海道なのでこのことを実行に移そう。


さて現地で検索すると十勝石は十勝川では見つけにくく支流のほうがよいとのこと,さらに池田町でバケツ一杯集めたという情報もあり,地図をみると池田駅から川まで近いのでいってみた。
駅に着き,せっかくなのでまずは駅近くにあるワイン城で試飲ワインを飲んで景気を付けようとするが,非常に旨いのでつい飲み過ぎ,ふらふらの状態で河川敷にたどり着く。河原までは藪こぎをしないと行けなかった。


河原に着き酔いも覚め,十勝石は意外と白っぽいので,水に浸けると黒くなると二十年前に聞いたことをおもいだす。
河原の石はほとんどが火山岩の流紋岩やデイサイトだ。探し始めるとそれらしき小石をすぐに発見し,結局30分ぐらいで10個見つけた。


持ち帰ってひとつ割ってみると,本当に黒曜石だった。めでたしめでたし



12月1日

■アカウントのルーツ

さて,milk32というアカウントは,18年前にプロバイダの事務所で,今すぐメールアカウントをきめてくれといわれ咄嗟に考えたっていうのは前にも書いた。
ミルク32は札幌にある喫茶ミルクのマスターのことだっていうのは中島みゆき本人の口からも語られている。(アフロのころの鶴瓶氏との対談より)
で,一度は行かないといけないと思ってたんだけど,LCCの恩恵にあずかりちらっと北海道へ行ってきた。

札幌に着き,google地図で「喫茶ミルク」と入力すると場所が表示される。便利な世の中になったもんだ。
駅から地下鉄に乗り,北十八条ってとこで降りて徒歩15分ぐらいかな。目当ての看板を見つけるとやや緊張する。


勇気を出して入ってみると,ミルク32のマスターと奥さんがいた。他に客はカップルと常連の人がいて,旅人の僕にもメニューが運ばれてきた。
「ミルク」なんてメニューもあったけど,寒かったのでカフェオレを注文する。カップルが帰り常連の人が煙草を吸い始めたので,迷惑じゃないという意思表示で僕も煙草に火を付ける。
常連の人はかなりその度合いが高く,ちょっとといって店の電話を使い,どこかに連絡していた。
カフェオレはかなりおいしかった。とても店内の写真をとる雰囲気じゃないのでこれが精一杯。


ずっと前からやりたいと思ってたことが少しずつ消化され,微妙に寂しさを感じる今日この頃。


11月9日

■危険物甲種その後
さて,10日発表のはずの結果通知のはがきが本日届いた。
通知書には成績が書いており,
・危険物に関する法令 15問中10問
・物理学及び化学 10問中8問
・危険物の性質とか消火の方法 20問中15問正解だった。

加齢による記憶力低下のため危険物に関する法令がしんどかった。出来も一番悪いようだ。
いちおう合格で,これですべての危険物,ナトリウム100kgも取り扱うことが出来る。


といっても今の生活で危険物に携わるのは,セルフのガソリンスタンドでの給油か灯油を入れるぐらいで,これじゃあ免許がもったいない気がする。
おまけに今後,ストーブに灯油を入れる係は僕が専属ですることになりそう,家庭内甲種危険物取扱者の誕生だ。


11月7日

早いもので11月になってしまった。また更新が途切れてすみません。
■スマホの画像ファイルより
ハーレーの試乗会があったのでいってきた。
でかいのも乗らせてもらったけどどうもしっくり来ない。やはりこのサイズのが合っているようだ。


奈良某所をウロウロしていると宮内庁の出先機関があった。そこにおいていた農機具。
田んぼの規模はそんなに大きくないと思われるが,田植機やらいろいろがやたら新しい。祭祀用の米を作っているんだろう。


■危険物取扱者(結果の都合により削除)

さて,指定数量を越える危険物,例えばガソリン250Lなどを取り扱うときは危険物取扱者の免許が必要だ。
危険物はガソリンや灯油だけじゃなく,身近なモノではナトリウムなんかは10kgを越えると免許がいる。
どうせならすべての危険物が扱える甲種,アマ無線で言うと1級の免許がいい。
というわけで甲種危険物取扱者の試験を受けることにする。

試験はすべて5択問題で,
・危険物に関する法令 15問中9問
・物理学及び化学 10問中6問
・危険物の性質とか消火の方法 20問中12問以上正解で合格。

秋晴れの日に試験を受けに行った。
甲種の受験者は明らかに若いヒトが多い。なんか女の子もいる。
同じ会場の丙種受験者,これはタンクローリーの運転に必要な免許なので中年のトラック乗りらしき方もいた。
この方々のおかげで中年のオッサンも浮いた感じがしないので感謝。
この種の試験にしてはめずらしく問題用紙も回収されるので結果は発表までわからない。


9月16日

Amazonキンドルでみると文字化けするので,いじるとPCでみたとき横幅一杯に表示されるようになったので元に戻したりしてます。

ふと札幌に行きたくなった。目当てはススキノやラーメンじゃなく,ミルクという名前の喫茶店だ。
前にも書いたかもしれないけど,1996年5月頃インターネットの申し込みにプロバイダの事務所までいったとき,申込用紙にメールアカウントを記入するところがあった。
英文字と数字の混合がよいとのことでふと思いついたのがmilk32。元になったのは中島みゆきの1978年発売のLPに入っている曲。同じレコードには有名な「世情」も入っている。
中島みゆきの歌詞は比較的リアリティーのあるものが多いけど,そのなかでも元ネタが本人から明らかにされた曲のひとつで,札幌にある実在する喫茶店とそのオーナーとの話だ。
オーナーは少なくとも68歳になってるはず。早く行かないと店をたたんでしまうかもしれない。


■忘れるということの悲しさ

さて、僕は昔から記憶力には結構自信がある。つまらない出来事でも割と覚えており、他人に対しても、なんでそんなこと忘れているのかとあきれることもある。
しかしある出来事について、そのことをまったく思い出さず、記憶の強化をすることがないと完全に大脳皮質から消えてしまうようだ。

先日実家の自室の床が抜けたので張り替え、ついでに掃除片付けをしていると、カラフルな封筒に入った手紙が十数枚出てきた。封筒の種類は全部ちがっている。表の宛先は僕が一時期すんでいた京都北山のアパート、宛名は当然僕だ。
裏面の差出人は大阪市の女の子なんだけど、名前に全く記憶がない。便箋には特に当たり障りのない日常のことがかかれていた。文面から差出人はどうも高校生のようだった。

さてさてさて・・・状況からすると30年前の当時女の子と文通をしていたのは明らかで、しかも十数往復もしてる。引っ越しのとき手紙を捨てないで和歌山に持って帰るという行動をとっているし、多少でも覚えていてよさそうなんだけど全く記憶にない。
どういうきっかけでこの女の子と文通するきっかけになったんだろう。彼女は今はもう四十半ば過ぎてるはずだけど、どこかで元気にくらしているんだろうな、きっと。


6月20日

「ポルシェ930,88年式,黒,ほぼノーマル(ダンパーのみ社外品),走行11万,記録簿あり,ミツワもの」
相場が上がってきたらなんかもったいないので売れないし,困ったもんだ。なんにせよ年金生活になったら維持できないのでそれまでに売って老後の資金にしようと皮算用。

福島の子供,甲状腺ガン90人。
yahoo知恵袋のこちらのベストアンサー回答は,おそらく某氏が書いたものだろう。 氏が危惧されていたことが現実に起こってきた。甲状腺ガンはこれからもっと増えるんじゃないかな。

ところで和歌山と奈良の県境に瀞峡(どろきょう)ってところがある。なかなかの秘境で,初めてバイクで行ったときは感動したもんだ。
その断崖にかつて「瀞ホテル」という旅館があった。残念ながら十年以上前に閉館したのだが昨年,カフェとしてオープンしたとの話を聞いていたので先日いってみた。
案内された窓際の席は瀞峡を見る特等席だった。ちょうどジェット船が通りがかり,乗客が手を振っている。誰に振っているのか,僕しかいないのに気がつき照れながら振り返す。
いちおう写真を撮ってきた。コンデジしか持ってなかったので180度パノラマですが一枚ものの写真よりも雰囲気が出てるような気がする。
こちらです。


6月18日

また更新途切れてすみません。
さて,下に書いているように引越の手伝いをしたわけであるが,入居した宿舎にいろいろ不満があったようだ。
僕的には必要十分で快適なところだと思えるのだが,まあ30年世代が違う。さっさと出たいというので,それじゃあ都市ガス物件を探すようにいうと勝手に見つけてきてまた引越だ。
新たに必要なモノを積んでまた関東平野の外れに向かう。今度は首都高をつかうが,皇居の横は通らずにC2(中央環状線)を使うことにする。
中央環状線はずっとトンネルで阪神高速環状線とは様子が違う。ゴリラナビは仕事を放棄しているので道路案内が頼りで,やっと地上に出て変な合流(板橋JCT?)もなんとかクリアして無事首都高から離れた。
あれこれと用事を済ませて帰宅する。帰りもC2を使うが合流もなくスムーズに東名高速に乗ることが出来た。神奈川のどこかのパーキングエリアでシュウマイのノボリがあったのでつい買ってしまう。



昔読んだ小説で,東京に住む主人公と鎌倉の女の子が,中間地点の横浜駅の崎陽軒の前で待ち合わせをするというシーンがあったのを思い出す。

ほんとうにそんなことが書かれてたのか,本棚を探すとボロボロのがあったので確認。どうでもいいことだけどこの本は30年前に同級生から借りたものでそのままになっている。
貸し主とは先日偶然会ったが,管理職になって残業手当がなくなったとぼやいていた。みんなそんな年になったのか。




5月5日

更新途切れてすみません。
どうも3,4月は本業がやや忙しく,また合間を縫って北関東へ荷物を運んだりといろいろ活動していた。
手持ちの軽トラや軽箱バンじゃせいぜい京都までだし,若干不安だけど走行11万キロのゴルフMk4で行くことにする。
レギュラーガソリンを満タンにして朝9時頃出発し,大阪京都滋賀から新名神,東名阪自動車道を走り伊勢湾岸自動車道を抜けて東名高速をひたすら走る。
富士山あたりは調子よく走ったけど,海老名までくるとちょっと憂鬱になる。このあとは首都高だ。
いっそ仙台なら日本海沿いをひたすら走って新潟福島経由で行けるのだが,北関東へはそうもいかない。
阪神高速環状線も出来れば走りたくない人間にとって,首都高はあまりにもハードルが高いので下道,環状八号通りにおりてみた。
おおこれがカンパチかと思って走るのだが,やたら道が混んでいて場違いな感じがする。1時間以上かかりやっと外環自動車道に乗ることが出来た。
2,3年後には圏央道っていうのが全線開通し,関西から北関東方面のアクセスも良くなるだろう。
600km以上走ってやっと目的地についた。リッター15kmぐらいだったので燃料計はまだ余裕があった。


ついでに某大学の入学式の様子を観察してきた。
2009年に大学の入学式について,
>半分ぐらいは親が付いてきており、特に母と息子というのが多い。また両親そろってというのは4分の1ほどかな。
とかいてある。
さて2014年であるが,8割方親がついてきているようだ。そのうち両親とも来ているのが半分ぐらい,祖父母の姿も目立つ。



2月5日

■他人の褌で相撲を取る。

さて,火星の探査車両から高解像度な画像が送られてくるようになった。NASAのサイトの
ここにあるが,このままでは教育用に使いにくいのでFlashパノラマ加工してみたのがこちら
もちろん無断なので文句を言われるかもしれないけど,それはそれで名誉なことになる気がする。


1月21日

■テレビドラマを見る
さて,「明日,ママがいない」っていうドラマがはじまり,モウコウギという名の最大の番宣,援護射撃もあった。
このステマにまんまと引っかかり,オンエアを見逃した人のための無料ネット配信(日テレサイト)で視聴してみた。
なるほど良くできたドラマだった。
ところで「明日,ママがいない」というタイトルをどこかで聞いたことがあると記憶をたどると,大昔に「昨日,悲別で」っていうドラマがあったことを思い出した。
同じ日テレだし,タイトルはリスペクトされたモノかもしれない。第一話の最後で主役がタイトルをつぶやくというのもリスペクトされている。
(リスペクトの使い方合ってるかな?)

「昨日,悲別で」,わりと有名なドラマなのでご存じの方も多いとおもいますが,北海道の悲別という町を出て,東京でそれぞれの夢を追いかけてる男女(天宮良と石田えり)が偶然出会っていろいろとあるという話だ。


ドラマが放映されたのは昭和59年で,尾崎豊が活動を開始し始め,X70とよばれるトヨタマーク2やクレスタが発売され,オッサンや小僧によく売れた年だった。村上春樹の1Q84にあるように,特に変哲もなく大きな事件もなかった平凡な年だった。


1月14日

あけましておめでとうございます。遅くなりましたが本年もよろしくおねがいします。

■成人式にちなんで
今年も成人式に関係したニュースがマスコミネタになっていた。
今から二十数年前,リアルで僕がよばれた頃の成人式は,女の子は振り袖禁止だった。
当時の田舎の世相は,華美なモノは慎み,みんな平等っていうのがもてはやされていたと思う。経済的に無理なヒトは可哀想っていう思想だろう。

平成になりいくつかの町が合併して市になってそんなことはなくなったけどいまだに問い合わせがあるみたいで,成人式の案内には「服装は自由」と書かれてある。
残念ながらコスプレで出席する新成人はいないようで,女性は振り袖,男は羽織袴かスーツが定番のようだ。


(画像は勝手にリンク)

さて,1月12日に市政がはじまって数回目の成人式が行われた。会場へ行く途中立ち寄ってくれた女の子から,意外なヒトの名前が出てきてビックリしてしまった。
振り袖の着付けは,中学校の時同級生だったNさんにやってもらったということだった。

化石のようなこのページ(1997.5)に,中島みゆきのミュージックマガジンを友人が聞けと言ったので聞いたと書いてあるが,実のところはクラスで気になっていた女の子(Nさん)が聞いていたので話を合わせるため聞き始めた言うのが本当の話。
まあどうでもいいし勝手なお世話だけど,彼女も成人式の時はきっと振り袖を着たかっただろうと想像をする今日この頃である。