和歌山と原発 キーワード:和歌山 紀伊半島 原子力発電所 原発 浦神 日置川 日高 小浦 

なぜ和歌山・紀伊半島に原子力発電所が存在しないかと気になり,Webの情報をまとめたものです。 40年以上前の話もあり,不正確なところもあるかもしれません。なお作者は反原発団体に属しているとか,特定の政党を支持しているとかはありません。どちらかというとやや放射能マニアかもしれません。




さて和歌山県はわりと京阪神に近く,和歌山市および紀の川筋に100万人のうち70万人が住んでいる。
県中南部は人口密度が低く,また外海に面しており原子力発電所を建てるのにはうってつけである。
実際に過去4回ほど建設計画が持ち上がり,そのたびに白紙に戻されてきた。

まず1回目は日高町の阿尾地区である。昭和四十二年六月に原発誘致の問題が初めて日高町議会に提起された。用地はすでにダミー会社を通じて関西電力が取得していたが,阿尾地区住民の激しい反対活動によりとりあえず原発建設は断念されたようだ。

次は昭和43年ごろからの話で,那智勝浦町の浦神半島から旧古座町の荒船海岸にかけてが建設候補地になった。
これも反対住民の声が上回り,結局、両町議会は「誘致反対」を決議したとのことだ。



3回目は日置川町,今は白浜町の一部になってしまったところである。
場所は市江崎ダイアピルのもう少し南で,昭和五十年ごろからの話である。 この経緯はWikipediaにあったのでまとめると,
関西電力は1976年に、日置川町内に原発建設を前提とした用地購入を行なった。誘致賛成派と誘致反対派とに分かれ、町民同士が対立。反原発派の美倉重夫は1976年の町長選で選挙事務長を務め反対派町長の当選に貢献したが、その後その町長は推進派に鞍替えしたため、1988年の選挙では美倉自身が町長選に立候補し当選した。
というなんとも激しい流れの中で計画は終わってしまった。

最後は1980年代,最初と同じ日高町の小浦っていうところに計画が持ち上がった。写真の漁港の向かって右の方である。

これは比較的新しい出来事なのでよく憶えている。実家から直線距離を測ると40kmしか離れてなく,ちょっと困ったもんだと思っていた。
ところが1986年のチェルノブイリ事故が影響したようで,88年に比井崎漁協組合が「原発の事前調査受け入れ」案を廃案にしたことですう勢が決まった。
この総会は混乱し,組合長が一方的に廃案の意思表示をして流会となり,とりあえずはおさまったようだ。


その後の日高町は「クエの町」ということで地道に発展し,和歌山の市町村としては珍しく人口が増加している。
(1990 6,862人  2000 7,148人  2010 7,433人)


とにかく電源三法の交付金はでかすぎる。この金は用途が公共施設建設や土木事業に用途が限られており,利権は莫大。
原発を誘致した町はこんなに発展しているというPR目的があるわけだ。

ちょっと前までは和歌山に原発誘致をけしかける地元国会議員がいたみたいだけど,もう無理だろうな。
福島みたいにメルトダウンを起こすと県内の一次産業や観光産業が完全に崩壊してしまうばかりでなく,徳島の方々,せんとくんや関空までご迷惑をかけてしまうだろう。

安定した雇用先の少ない紀伊半島中南部であるが,あぶく銭に惑わされず命をかけて原発建設に反対した方々,どうもありがとうございます。



参考web・リンク
ウィキペディア日置川町
和歌山県議会・ 平成元年9月定例会
和歌山県議会・平成元年九月定例議会中ぐらい・森利一氏の質問
和歌山県に原発がないのはどうしてでしょうか?
僕、和歌山在住ですが、原発爆発が怖くて眠れません
上関みらい通信

        文章作成 くりこまあいらんど